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2009年2月の11件の投稿

2009年2月27日 (金)

良い話ばかりじゃない!

内緒の話だが、僕は相当真面目な性格。


前回、施設の卒園生の良い話をした。
が、勿論、そんな話はたくさんない。


一週間くらい前の夜、ひとりの卒園生が僕の自宅を訪ねてきた。
突然、訪れる卒園生の話はいつも同じだ。
予想通りに、彼はこう言った。

「はげさん、悪いけどお金貸してくれませんか」

こんな時だけ、やけにしおらしい。


僕も相当人がいいもんだから、
これまでだいぶ卒園生のためにお金を工面してきた。
いくらかは忘れてしまった。

というか、忘れてしまいたい。

言えば、家が建つくらい。
ごめんなさい、大袈裟過ぎました。
小屋が建つくらい、か。

僕の自己満足のために貸したお金だから、
半分はあげるつもりで貸したお金だから、
後悔はしていないんだけど、最近分かってきたことがある。

僕のお金は、彼らのためにあんまり役に立っていなかった、ってこと。

お金は、使えばなくなる。
ただ、いくらか彼らを生き延びさせただけ。
結果、彼らは元の木阿弥。

返済できないから、僕のところへも施設へも、
二度と来れない、ということになった。
だから、ちっとも彼らのためになっていない。
僕がただ良い人ぶっただけ、ということ。


一週間前に、訪ねてきた卒園生には、
今までのいろいろな卒園生の話をした後でこう言った。

「お金を貸すのは簡単だよ。
いくらほしいの。
おまえはきっと僕の貸したお金は返さない。
だから、もう二度と僕の前には顔を出せないことになる。
それでもいいなら、今から僕はコンビニに行って、
おまえがほしい分だけお金を下ろしてくる。
どうしたいのか、今、自分で決めてほしい」


彼は、しばらく考えていたが、黙って僕の家から去っていった。

彼は、もう一度僕のところを訪ねられる方を選んだ。


今度来たときには、もう一度一緒に考えればいい。


  とは言ったものの、心配する・はげおやじ・より


 追記

お金を貸した卒園生にも、
それで立ち直った人もいることを
付け加えさせていただきます。

2009年2月23日 (月)

負けて、嬉しい!!

この前の休みの日に、施設の卒園生と飲みに行った。
高校を卒業して、もう10年くらい経つかなあ、30歳くらいか。

何年かに一度、一緒に飲んで一緒に飲んだくれる。

「はげさんがいなかったら、俺はこんなにまともになってないよ」

嬉しいことを言ってくれる。

こうやって卒園生と一緒に飲むのが、僕の何よりの楽しみ。
それにしても、電車で何時間もかけて、
辺鄙な田舎から出てきてくれるんだから、
僕としては、なお嬉しい。

「僕は、そんなたいしたこと、してあげてないのに」

彼は、去年結婚して子どもが生まれた。
お父さんだもんね、僕も歳を取るはず。

「お金はないけど、子どもは可愛いよーー!」

でれーーっとした顔で、携帯の子どもの写真を見せながらそう言う。

まあ、幸せそうで何より、まともに成長しているようで何より。
30男をつかまえて、成長もないもんだけど、
僕にとっては、いつまで経っても可愛い子どもだからね。

で、彼と会うといつも腕相撲をする。

「いっちょ、来い!」てなもんで、
飲み屋でテーブルの上を片付けての戦い。
嫌な客だねえ、全く。

何年か毎に腕相撲をずっとやってきた。
まあ、所詮、酔っ払い同士の勝負なんだけど。

今まで、僕は彼に勝ち続けてきた。

「なんで勝てないんだろう、はげさんしぶといなあ」

彼はそう言い続けてきた。

子どもが親を乗り越える時が必ず来る。
それは勿論、腕相撲の話じゃないんだけど、
彼にとっては、それが分かりやすかったんだと思う。


そして、僕はついに彼に負けた。


10年越しの勝負にけりがついた。
勿論、少し悔しかったけど、すがすがしい気分でもあった。

・・・・やっとだね。

彼は僕を超えていく。

僕は、子どもたちが乗り越えるためにいるんだから。

それで良いと思う。


  ちきしょう、今度会ったときはリベンジしてやる!と思う・はげおやじ・より

2009年2月21日 (土)

煎じて飲まねば!(以前の『通信』から)

この前の給料日。

給料日と言っても、ぺらぺらの明細書を1枚もらうだけなんだけど。
まあ、それでもありがたい。
「今月はいくらかなあ」なんて、たいして変わるわけもないのに。

僕は事務室で仕事をしているんだけど、
明細書がみんなに配られたすぐ後に、
非常勤のおばちゃんが、なにやら困った顔で足早に事務室に入ってきた。

僕は思った。

「なんか給料に文句あるのか? せこいばばあだなあ」

と、おばちゃんがこう言う。

「お昼ごはんの数と勤務の日数が、一日分合わないんですけど」

勤務の日には必ずお昼ご飯を食べるから、どうやらそれを言いに来たらしい。

「一日くらいいいんじゃないの? そんなに焦って来るほどのことじゃないでしょ」

僕の気持ちは、すでにこのおばちゃんを責めていた。


が、おばちゃんの話を聞くと、そうではなかった。

「昼食を食べた数が、勤務の日数より一日少ないんですよ」


何?

ということは・・・・・

このおばちゃんは、昼食1回分300円を支払いに来たというわけだ。


僕にとっては、ありえません。
あまりに正直過ぎます。

僕は思いました。

「黙ってもらっておけばいいのに」


だから、ごめんなさい。
僕はおばちゃんのことを誤解してました。
一瞬でもおばちゃんのことを 『せこいばばあ』 だなんて思ってしまって。
そんな僕を許してください。
間違っていたのは僕の方です。
穴があったら入りたい思いです。

おばちゃんには後で言っておきました。

「自分が得してる時には、言いに来なくていいんですよ。
足りないときだけ、言いに来て下さい、こっちの間違いなんですから」

すると、おばちゃんは言いました。

「そんなこと、だめですよ。 1円でもきちんとしておかなくちゃ」


僕は、おばちゃんにお願いしようと思います。

「すみませんが、おばちゃんの『爪の垢』を、僕に少し分けて下さい」

  僕も実直に生きなきゃ!改めて考える・はげおやじ・より

2009年2月19日 (木)

お・い・し・い!!

施設での昼食。

実際、相当にいい味なんだけど、
配膳するときに冷めてしまうのがちょっと残念。

何日か前の話。
えーと、確かメニューはイタリアン・オムレツ。

小学生より大きい子どもたちは学校に行っているから、
幼児さんたちと食事をしていた。

「このオムレツうまいなあ」と僕。

隣に座っていた今度小学生の女の子。

「はげちゃん、だめでしょ。 『うまい』は、きたないことば!」

「えっ、そうか?きたなくないと思うけど。 そいじゃ、なんて言うのよ」

自慢げに彼女。

「『おいしい』でしょ!『おいしい』が、じょうひんなことば!」

「うーーん、そうか? どっちでもいいんじゃないの?」

「ダメ! 『お・い・し・い』!」

「『うまい』の方が、僕としては感じが出てるんだけどなあ。
なんか、『うまい』の方が絶対、僕の気持ちが上手く表現できてると思うんだよね」


「もう、はげちゃんは、ほんとわかってないんだから。
それじゃ、おんなのひとにもてないよ」

「あー、そうですか、そうですか。 いいですよ、いいですよ」


  どうせ、下品でもてない・はげおやじ・より

2009年2月17日 (火)

ジョークの分かる人 (以前の『通信』から)


この前のお休み。
近くのダイエーに行った。

煙草が切れたなあ。

煙草屋の店先。

アメリカ人と思しき少年たち3人が並んでいた。
ここは米軍基地のすぐ近くだからアメリカ人が多い。
英語でのやり取り。

ほとんど分からない。
店のおばさんたちも悪戦苦闘している様子。
どうも、20歳以下の人には煙草を売れないと言いたいらしい。
「カード、カード」と言っている。
身分証明書で歳を確認したいようだ。

ひとりの少年は、たぶんこう言った。

「ヘイ、ベイビー!
基地の中では18歳で煙草は買えるんだよ。
僕は19歳、この店は20歳でないと売ってくれないのかい?
かたいこと言わないでさあ、お願いだよ、おばさん!」

ほんとかどうかはかなり疑わしいが、勝手にこう解釈した。
エイティーンとか、ナインティーンとか、トゥエンティとか言ってたからね。
ただ聞き取れた三つの単語で、これだけの意訳、僕は天才かも。

っていうか、英語の喋れる人を見るといつもぶっ飛ばしたくなる。
悲しくもただのひがみだけど。

しぶしぶと少年たちが立ち去った後、僕はおばさんにこう言った。

「僕は47歳なんですけど、売ってもらえますか」

「ええと、47歳ね・・・・・ちょっと待ってくださいよ・・・・・はい、大丈夫です」

彼女はにやにやと笑いながら、マルボロ・ライトの箱を僕に手渡した。

  冗談の分からない人が嫌いな・はげおやじ・より

2009年2月16日 (月)

電話番号を変えない理由 (以前の『通信』から)


パソコンがADSLで、IP電話も繋がっているので、
もうNTTの回線はいらないかとも思うのだけど、
なんとなく慣れ親しんだ電話番号を切るのは勿体無いかなあと。
でも、実際、NTTの電話はほとんど使っていないんだよね。
最近は、携帯ばっかりだから。

が、ほんと、びっくりした。

昨日、たぶん十数年ぶりに卒園生から電話が掛かってきた。
そんなこともあるからなあ。
僕が就職した時に中1だったかな、その可愛い女の子。
今は35歳と言っていたから、女の子なんて言ったら失礼だよね。

もう『相当立派なおばさん』です。


彼女もいろいろと大変な思いをして生活してきたらしい。
今は、小学生の男の子の母親として奮闘している。
母子家庭みたいだけどね。
「子育ては大変だけど、子どもは可愛いよ」
なんて言ってたから、まあ、とりあえず安心か。
そんなに遠くに住んでいるわけでもないから、今度会いに行ってみるかなあ。

いろいろと卒園生の情報を交換した。
僕の知らない情報も結構持っていた。
まあ、どちらかと言えば、やっぱり大変な状況で生活している人が多いみたいだ。
行方不明の人も結構いるみたいだし。

何事もうまくいかんなあ。

卒園生は卒園生同士、ちょっと助け合ってなんとかやっていってもらいたい。
足を引っ張り合って、というのもあるみたいだけど。


幸せな家庭に生まれなかった子どもは、その生活が連鎖する?
そう思いたくないけど、やっぱりあるような気がする。

彼氏とか彼女とか結婚相手とかでその人の人生はある程度決まってしまう。
結局、現状では、優秀な人は優秀な人と出会い、
そうでない人はそうでない人と出会うシステムになっているから、
大体は、大変な思いをした人は、代が変わっても大変な生活を続けていくのかも。

でも、そんなことばかり言っていても始まらない。

幸せは自分でなんとか掴み取るもの。
特にお金持ちにはならなくても、幸せは手に入れられると信じている。

そんな幸せを彼女にも!!
そして、今まで関わってきた多くの卒園生たちにも!

そして、卒園生の子どもたちには、さらに大きな幸せをお祈りしています。

  フレー!フレー!応援する・はげおやじ・より

2009年2月12日 (木)

バレンタイン・デー 前々日

この時期になると、施設の子どもたちは、
休みの日にチョコレートを作り始める。
好きな子にあげるのかなあ。
子どもにも義理チョコとかあるのか?
板チョコを溶かして生クリームを入れてとか、
小さい型に流し込んだりとか。

まあ、小さな天使たちは、
それなりに盛り上がるバレンタイン・デー。


大人の人たちはどうなんだ?
職員の中には、この日を恨んでいる人とかもいそうだなあ。

「誰よ、バレンタイン・デーなんか作ったのは!
お菓子屋の陰謀だって聞いたわ。いい加減にしてほしい」

毎年、嫌な思いをする人もいるんでしょう。
あげる人のいない人、ってことですが。

とりあえず買っとこう!って、一生懸命選んで買っといて、
結局あげる人が見つからず、自分で食べる人。
最初から自分で食べるつもりの人もいるでしょうね。
「きれいにラッピングして下さい」とかなんとか、
自分でお店の人に頼んだくせに。


今日、夕方、僕のところに、
小学生の女の子がやってきた。
なんかニヤニヤしている。

彼女も、家でやっぱり辛い思いをしてきた。
だから、そんな性格になってしまったのかもしれない。
そんなというのは、結果みんなに好かれない性格ってことだけど。
性格も太めの体型も、いわゆるいじめられやすいタイプの女の子。
彼女もプライドがあるから、嫌われていると思いたくない。
だから、学校ではひとりで過ごすことを自分で選んでいる。
そんなことで、なんとか自分を保っているんだろうな。

学校から帰って来ると、
いつもカウンター越しに話したそうな感じ。
いつまでもガラスの向こうでこっちを見ている。
面倒だけど、ちょっと相手をしてあげますか。

「おかえり。今日も学校でいじめられた?
そうか、一言も友だちと喋ってないの。
それで、休み時間はひとりで図書室いたの?」

「そんなんじゃないわよ。
私は本が好きだから図書室に行ってるだけなの!
はげのくせに、いちいちうるさいなあ、もう」

学校ではおとなしいようだが、施設に帰って来ると威勢がいい。
毎度、こんな馬鹿な会話のやり取り。
そんな会話でも楽しそうにしている。
結局、怒ったふりして自分の部屋に帰るんだけどね。

今日は、一度部屋に戻った後、その彼女が、
後ろ手に何かを隠して、僕のところにやって来たというわけ。
いつになく、しおらしい。

「はげせんせい、ちょっと早いけどチョコあげるよ。
そんな頭じゃ、どうせくれる人いないでしょ」

可愛いですよね、精一杯の強がり。

僕も答えてやりましたよ。

「そうだなあ、中学生の時とかは、バレンタイン・デーの日には、
うちの爺やが、トラックで学校までチョコレートを運びに来たけどね」

「あんたって、ばっかじゃないの!」そう言って殴りかかってきた。

「『あんた』って、職員に向かって言うな!暴力反対!!」

手で顔を覆い、防戦の態勢を取る。

自分で溶かして作り直したという小さなチョコふたつ。
ちょっと早めだったけど、
きっと彼女は、誰よりも先に僕にあげたかったのだと思う。
せめて、そんなところで一番になりたい、そう思ったに違いない。
だから、14日まで待てなかったのだろう。

施設の子どもはほんと難しい。
しかも、女性はなお難しい。
『難しい』×2 というわけ。

たかだか、バレンタイン・デーですが、
大人も子どももいろいろと大変なようで。

  皆さんお疲れ様です、労う・はげおやじ・より

2009年2月10日 (火)

みんなほんもの (以前の『通信』から)

      みんなほんもの

       作:相田みつを

     トマトがねえ
     トマトのままでいれば
     ほんものなんだよ
     トマトをメロンに
     みせようとするから
     にせものに
     なるんだよ

     みんなそれぞれに
     ほんものなのに
     骨を折って
     にせものに
     なりたがる


     ******


詩を読んでもらえれば、説明はいらないとも思いますが。

蛇足ということで。


全く同感!!って感じです。

『トマトの良さ』っていうのがここにはありません。

トマト君はもっと自信を持って良いのに。
トマト君はもっと自分を褒めてあげていいのに。

ただ、トマト君の気持ちは痛いほどよく分かります。


僕は、地方の国立大学を卒業しました。
まあ、それなりの学校です。
その地域には、国立大学は勿論ひとつしかありませんから、
そこに住んでいる人は、その大学に行っている人は相当頭が良いと思っていました。

高校が進学校で、一生懸命に勉強しました。
少しでも、レベルの高い学校に行きたかったからです。
それ以外は、何も考えていませんでした。

僕はその当時、レベル(偏差値)の高い大学に行くことが、
その人間を決めることだと錯覚していました。

随分、幼かったですね。

その人を決めるのは『人間性』です。
頭の良し悪しはあんまり関係がありません。

頭では理解しています。
分かってはいるんですが、
例えば、東大とか、京大とか、早稲田とか、御茶ノ水とか言われると、

「ふざんけんな、この野郎!」

とか思っちゃうんだよねえ。
分かっちゃいるけどやめられない、この思いは。

「どうせ僕なんか、地方の田舎大学ですよ」

いじけてどうすんの?


そうそう、ついでに言えば、大学の時、東京に憧れてて、
っていうか、東京という街に劣等感がありました。

「どうせ、所詮、地方出身ですよ」ってね。

実際に東京に住んでみて、たいしたことないと実感するまでは、
その思いは消えませんでした。

同じようなことでしょう。


メロンがトマトより上だと誰が決めたのでしょう。

しかし、問題は、多くの人がそう思っているところです。
ただ、それは変えられない。
だから、みんなが背伸びする。

人は、みんなひとりひとりが『ほんもの』です。
ただ、それをありのまま受け入れるというのは難しいことです。
自分の嫌なところ、だめなところすべてを、受け入れなければいけませんから。

たくさんの人に受け入れられたい、認められたいという思いからでしょう。
『にせもの』になりたがるというわけです。


トマトはトマトで結構!!

メロンになることは諦めて、トマトはトマトらしく生きていこうではありませんか。
トマトならではの色と味を出しながら。

『開き直り』というのとはちょっと違うと思うんだけど。

そして、生意気なメロンの野郎には、ときどき、
思いきり、がぶっとかじりついてやることにしましょう。


でも、やっぱり相当美味しいだろうけど。

  だめだこりゃ、と思う・はげおやじ・より


Minnahonmono


2009年2月 8日 (日)

僕のはげ頭

「『はげ』で悪いか!」

って、突然喧嘩売ってどうするのよ、と自らを戒める僕。

こりゃ、しょうがないもの。
僕はもう諦め、開き直ることに決めました。
『はげ』は『はげ』なりに生きていくのです。


ここで、僕の『はげ』について若干説明しておく。
横と後ろはまあ、白髪があるものの髪の毛は残っている。
が、問題は上、ひどいね。
うちの施設の子どもたちは、外で日光が当たると言う。

「はげせんせい、はんしゃしてまぶしい!」

「そんなわけないだろう、ばーか!」って答えるんですがね。

ただ、前のところだけ少し髪の毛が残っている。
その髪の毛をバックに伸ばしているものだから、
言えば、『縦バーコード』の完成。
一般的に、僕の観察では『横バー』の方が多いから、
珍しいタイプのヘアースタイルになっている。

大体、想像していただけたでしょうか。
写真を添付しようかとも思いましたが、
気分を害する方もいらっしゃると思い、
やっぱりやめときます、リアルで自分でも気持ち悪いもの。

皆さんのお好きなように想像してください。


「ブスは慣れる」と言うように、
きっと「『はげ』も慣れる」、そう信じている。
親が与えてくれたこの頭、大事にしていこうと思う。
って、親は与えてないか、僕のおやじははげてなかったし。
仕事のストレスが、関係あるかもなあ。


いずれにしても、『はげ』は結構いいです。

第一に、『はげ』は、女性にもてない。
これはいいですよ、面倒くさくないもの。
ほんと、女の子が寄って来ないというのは気楽でいいものです。
髪の毛があったときには、女の子をかき分けて歩いていたからね。

はい、はい、冗談です、そうだったらよかったなあという希望です。

後、あれね。
シャンプーが少なくて済む。
ポンプ式だと、一回押すと多過ぎるからね。
僕は、大体1回の3分の2のところで、うまく止めるね。
これも、すごく経済的、いいよーー。

それから、責めやすい部分があると親近感が持たれやすい。

「はげちゃーーん、かみのけ、どこにおとしてきたの?」
と施設の小学生。

「うーーんと、うーーんと、あれは札幌だったかなあ」
なんて、訳の分からない返事。


まあ、こうなってしまったんだから、
自分自身を受け入れることから始めないとでしょ。
諦めと開き直り、ある意味大事だって。

  前向きに生きていこう!と思う・はげおやじ・より

2009年2月 5日 (木)

ひとりじゃいられない (以前の『通信』から)

『人間』だからなあ。
人の間。
ひとりじゃ生きていけない、って意味でしょ。

「現実でもひとり、ネットでもひとり」
ちょっと前になるけど、秋葉原の殺人事件で犯人がそんなことを言ってたよね。

誰かに認められることが、人間には必要なんだと思う。
そうでなければ、自分の存在を確認できないからね。

「君は僕にとって必要な人間なんだ」って誰かひとりでも思ってくれれば、
自分が生きている意味があるってことかな。

自己の存在の主張。

「僕はここにいるよ」

誰かに分かってもらいたい。

だから、こんな事件になったりもするんでしょう。


施設の子どもたちが通う中学校。
元気な生徒がふたりいるそうだ。
金髪で喫煙、先生に喧嘩を売る。
今時珍しい太いズボン。

この前は、売られた喧嘩を先生が買ったもんだから、
先生がこの生徒を殴って、
先生は臨時集会で生徒にも保護者にも謝罪した。


施設の子どもたちもいろいろいる。
問題を起こす子どもたちは、えてしてそんな感じ。


現実でも、表面上だけどまわりにこんなにたくさんの人がいて、
ネットでは、仮想の友だちがたくさんできるはずなのに。

それでも、自分のことをひとりだと思ってしまう人がたくさんいるんだね。


『家族』は一体何をしてるんだろう?
せめて、家族が守ってあげなくちゃ。
家族関係の希薄化も関係してるんだろうなあ。
『家族の中の孤独』って本も確かあった。

施設でもいろいろと事件が起こる。
子どもたちの置かれた状況は、確かに一般より問題がある。
施設の子どもたちは認めてくれる『家族』がいないから。

虐待するような親じゃ、どうにもこうにも。
だからなおさら、問題を起こす確率は高くなるのかもしれない。


社会が悪い!じゃ何も解決しないんだけど、
どうしたら良いのか、術が見つからない。


日本の自殺者は、10年連続で3万人越えてるでしょ。

『ひとり』を感じる人が多いってことが、
こんな状況を生んでいるひとつの原因でしょうかねえ。


  僕が友だちになってあげるのに、と思う・はげおやじ・より

2009年2月 4日 (水)

求めよ、さらば与えられん (以前の『通信』から)

「尋ねよ、さらば見いださん。叩けよ、さらば開かれん」と続きます。

新約聖書の言葉です。

一般的には、
「あたえられるのを待つのではなく、
自ら積極的に求める姿勢が大事である」ということでしょうか。

教会的には、
「ひたすら神に祈り求めれば、神は正しい信仰を与えてくださる」ということですか。

今、インターネットで調べてみたんだけどね。


この前、施設の子どもの数人を教会に連れて行きました。
うちの施設の子どもたちは日曜日に、数人づつ教会に行きます。
1ヵ月か2ヵ月に1回くらいでしょうか。

その時、教会の信心深いおばさん(おばあさん?65歳くらい)が言っていました。

「神様は、その時にその人に必要なものを必ず与えてくれるのよ。
その時には理不尽と思うことがあるかもしれないけど、後から考えれば、そう思えるわ」

「嘘だね」

僕は口には出しませんでしたが、そう思いました。

人生の終わりに近づいた人は特に、
自分の生きてきた道筋に何らかの折り合いをつけたいと思うのではないでしょうか。
心地よく老後を送るためにね。

僕にはそう思えます。
体裁のいい後付けの言い訳。


大体、神様の求める『正しい信仰』というのが分からん!

熱心なクリスチャンの立場で言わせてもらえば、
『隣人愛』ということでしょうか。
愛のある言動を神様は望んでいて、
『隣人愛』を僕たちが望んだ時にそれを叶えてくれる?


やっぱり、若干胡散臭いです。


でもなあ、たとえそうであったとしても、心穏やかに過ごしたいと思う気持ちも分かります。
だから、ここは神様に騙されて、悟ったふりもいいでしょう。


施設の子どもたちを見ていると思います。

どうして神様はこんな子どもたちを作ったんだろう。
考えれば考えるほど分からなくなります。
みんなが協力しあって、そんな子どもたちを助けるために?

まさかね。

それにしちゃ、子どもたちが負う負担があまりに大き過ぎます。

分からんなあ、やっぱり。

こんな大変な思いをして苦しむ子どもたちの存在意義なんてあるわけがない、と思います。

そんな子どもたちなんか存在しない方がいいに決まっています。

違うかなあ。


「神様の考えていることは凡人には分からない」ってとこですかねえ。


だから、僕が言えるのは、自分が今までのいろいろな経験の中で得た『良いこと』を、
自分なりに目指して、実践していくということでしょうか。
考えるだけじゃ無意味です、きっと。

そう考えると、『隣人愛』というのは、
本当の『良いこと』に近いと思うんだよね、僕の経験上。

  真実に近い『良いこと』を求める・はげおやじ・より

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