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2009年6月の8件の投稿

2009年6月27日 (土)

血は争えない!けれど・・・ (以前の『通信』から)


世の中にはいろんな人がいます。
当たり前です。

施設の子どもたちは、あんまり頭がよくありません。
みんなとは言わないけれどね。
小学校、中学校で、特別支援学級に在籍する子どもも6人います。
しょうがないかなあ、と思ってしまいます。

たいてい、レベルの低い子どもたちはレベルの低い子どもが仲間であり、
優秀な子どもは優秀な子どもを友だちに持ちます。
大人になってもそれはあまり変わりません。
レベルの近い人たちがそばにいるようなシステムですから。

そしてまた、たいていは近くにいる人から結婚相手を見つけるのですから、
それなりの子どもを生むという構図になります。
だから、施設の子どもが大人になって、
また施設の子どもを再生産してしまうことも少なくないのかもしれません。

勿論、子どもたちやその親を責めることはできません。
誰だって、そう生まれたくて生まれてきたわけではありませんから。


僕だって、『はげおやじ』に生まれてきたかったわけじゃありません。

いや、生まれたときには『はげ』てなかったわ。
しかも、『おやじ』でもなかったし。

だから、これはもうどうしようもない、と思うわけです。


親に会ってもいないのに、大きくなると親に似てくる子どもがいます。
「あんな親になりたくない」と言いながら、
容姿だけじゃなく、性格までそっくりになってしまう子どもがいます。


みなさんもそうでしょうか。

僕の娘と息子もそうのようです。
やっぱり、おまえたちももうすぐはげるぞ!!


ただ、僕たちの仕事は、『遺伝』のことを言うと仕事になりません。
最初から仕事を放棄することになります。
どうせ僕らがいくら頑張っても・・・・・いけない、いけない。

僕たちは、可能性を信じて、
子どもたちの『環境』を変え、『育ち』に刺激を与えることで、
子どもたちを、親とは違う人生を歩める人に、
しっかりと育てていかなければいけません。


いろんな子どもがいて、いろんな問題を起こします。
「またかよ」なんて愚痴も出ますが、
できるだけのことを子どもたちに、ですね。


  それでも溜息が出る・はげおやじ・より

2009年6月23日 (火)

児童相談所の可愛いケースワーカー

この前の土曜日に彼女はやってきた。
担当の子どもたち(姉弟)と面会するために。

個別の関わりを求める子どもたちは、ずっと待っていた。
自分のために、誰かが会いに来る、
それが、たとえ親じゃなくても子どもたちは嬉しい。

いくつか前の記事のコメントにちょっと書いたんだけど、
その前に、別件で来たこのケースワーカー。
この子どもたちに、偶然会って約束した。

「予定を見て、来られる日をすぐ連絡するからね」

数日待ったが、連絡は来なかった。
ちょうど、そのケースワーカーから、
別件で電話が掛かってきたときに、僕はお願いした。

「子どもとの約束ですから、近いうちに必ず来て下さい」


そして、土曜日の面会になった。
児童相談所は、勿論土曜日休み。
休みの日でないと、忙しくて日程が取れないらしい。

「平日は、夜9時10時くらいまで仕事です。休日出勤もよくあることです」

「お休みのところ、子どもたちのためにありがとうございます」

2時間くらいをこの子どもたちのために使ってくれた。
甘える小学生の男の子を、おんぶまでして外出してくれた。

ほんとに感謝している。


大学を卒業したばかりの彼女は、まだ働き始めて3ヵ月。
良いケースワーカーに育ってほしい。
子どものことを中心に考えられる素敵なケースワーカーに!

大変な親もいるから、怒鳴られたり脅されたりも、きっとするはず。
いろんな経験をしながら、少しずつ成長してほしい。


あ、皆さんに言っておきますが、
別に、若くて可愛いケースワーカーだから、
応援しているわけじゃないんです。
僕は、施設の子どもたちのために、言っているんですから、
そこのところ、誤解してもらっては困ります。

ほんとですから、疑ってはいけません。
前の記事で書きましたが、信じることが大事なんですから。

「小太りのおばさんでも、同じように思うのか!?」

うーーん、そりゃ、難しい質問だな。


そして、子どもたちと一緒に彼女を見送った。

「今から、先生はデートなんだって。遅れないようにもう帰してあげようね」

僕の口は、軽やかに冗談を放った。

・・・彼女は苦笑い。


また、子どもたちのために時間を作ってきてほしい。

僕も会いたいから。

・・・嘘、嘘!
勝手に、指がキーボードを叩いてしまった!

あーーあ、こんな職員でいいのか、俺は!?

  こんな人間的なところがまたいいでしょ!と思う・はげおやじ・より

2009年6月19日 (金)

恐い!! (以前の『通信』から)

20年以上も前に担当した子どもが、
奥さんに向かって、
「中学校の時に、はげさんにこんなこと言われたんだけど」
なんて話をしてたら、ちょっと恐い。

いや、随分恐い、大いに恐い!!

僕なんか、学生の時の先生の話とか、
何一つとして覚えてないもの。

その時にはでまかせに言ったのかもしれないし、
てきとーな気持ちで言ったのかもしれない。

だから、子どもたちと話をするときには、
その言葉が一生残る、って思って話をしないとね。

っていうか、そんなことなんか無理だけど、
真剣に話をするときには相手が子どもであったとしても、
『一人格対一人格』というつもりで向き合わないといけない、ってことかな。

卒園生の奥さんが主人がそう言っていたと教えてくれた。
ふたりは自分たちの子育ての中で、現在悪戦苦闘中!

そんなことを僕が言ったかどうかなんて、勿論全然覚えてないんだけど、
偉そうにそんなことをたぶん僕は言ったんだろうけど、
それは、恐い!と同時に嬉しくもある。
正直、涙が出た。


「子どもを育てる基本は、やっぱり信じてあげること」って、僕は言ったらしい。


そりゃ、子どもたちは嘘もつくし裏切りもする、当たり前。
時には警察にお世話になったって、不思議じゃない。
まあ、いろいろ経験した人の方が人間的に幅が出てくるかもしれないし。

ほんとに品行方正な人間なんて僕くらいのものだろうなあ。
あ、僕の場合は、容姿端麗、頭脳明晰というのも、くっつけてもらいたいけど。

でも、悪さをしても、
信じてもらえる子どもは、少々道を外してもすぐに帰ってくるものだと思う。
ぐれてもたかだか知れてるってこと。
信じてくれている親を本当には裏切れないもの。

施設の子どもは、たいていの場合、家では信じてもらってない。
だから、心が不安定だ。
僕らの仕事は、信じてあげることだね。

騙されても、騙されても、騙されても。

いつか、信じている人のところに帰ってくると信じて。
信じてくれる人を最終的に人は裏切らない、そう思っています。
そう思いたい、っていう期待も込めてだけど。


仕事の上では子どもだけでなくて職員もいるから、
人間関係は難しい。
最近ちょっと疲れているのも事実。

でも、そんな話を聞くと・・・・

  やっぱり辞められない!、と思う・はげおやじ・より

2009年6月15日 (月)

喧騒の朝


宿直明けの幼児さんの部屋。

「はげせんせい、きがえたからキャラメルちょうだい!」

「はい、いっこずつどうぞ」

僕の体に登っては落っこちるのを楽しむ子、
ぬいぐるみを持ってきて遊ぼうとする子、
ちょっとでも気を惹きたい子。

「こっちまでおいで、べろべろばー」

「おれのひげひげこうげきをうけてみろ!」

顔や手に、少し伸びた髭をこすりつける。

「ひゃーー、にげろーー!」

「まて、こら!」

「このサメは、あかちゃんだから、かまれてもいたくないよ。
ほら、はがないでしょ!」

僕の手を持って、ぬいぐるみのサメの口に入れる。

「いててて、サメにかまれた、いてててーー!」

大袈裟に痛がる僕。

「はげせんせい、うそじゃん。わざといってるだけじゃん」

「ばれたか!」

「はげちゃん、『こんにちは』やって!」

『こんにちは』というのは、すわったままの僕に肩車して、
僕が「こんにちは」と言いながら頭を下げ、
3回目に子どもたちを床に転がす遊び。

子どもたちの歓声に、僕も嬉しくなる。

「パジャマくらい、じぶんでたたんで!」

「ぼく、きょうはおもらししなかったよ」

「そりゃ、えらいね」

「はげせんせい、ポケモンシールであそぼうよ、じゃん、けん、ぽん」

どんな遊びかちっとも分からないが、
じゃんけんで負けた人がシールをもらえるらしい。
その男の子はグーしか出さないから、僕はずっとパーを出すしかない。
10回に1回くらいはチョキを出しながら、うまいこと負けた。

「ちきしょー、まけちゃったよ」

「やったー、ぼくのかち!」

「ふとんであそんじゃ、だめでしょ!」

今度は、2歳の男の子が、オムツとシャツを持ってやってきた。
着替えさせてくれ、ということのようだ。

「はい、あしをあげて、はい、ばんざいして!」

にこにこしながら、ようやく着替えを終えた。

「おれのこちょこちょこうげきを、うけてみろ!」

「テレビつけて!」

僕に体当たりしてくる子。
キックしてくる子。

「いまのは、ほんといたかった。ほんとかんべんして、おねがいだから」

てかげんしろよ!と思いながら、怒るに怒れない。


そうこうしているうちに、3階の小学1年生の女の子が降りてきた。

「はげせんせい、ちょっときて」

手を引かれ3階まで連れて行かれた。

「きゃー、おとこのこがのぞいてる!」

「だからさ、パンツいっちょうじゃなくて、はやくズボンはきなよ」

「はげせんせい、きがえたからキャラメルくーーださい」

「これはたからものだけど、はげせんせいにあげるよ」

女の子がアサガオの種を10個数えて、僕にくれた。

「もう、したにいくからね」

「だめ、もうちょっとまってて!」

着替え後のキャラメルをほしい女の子が言う。

「そんなら、はやくきがえろ!」って言うの!


そんなこんなのあわただしい朝。

その後、子どもたちと一緒に、朝ご飯を食べて帰って来た。

「ふーー、つかれた!」

  そんな宿直明け休日の朝、ちょっと一眠りした・はげおやじ・より

2009年6月12日 (金)

言い訳 (以前の『通信』から)

施設の中では、いろいろな事件が起こります。

しかし、子どもたちは好きで事件を起こすわけではありません。
そこには必ず原因があります、あるはずです。

子どもたちは、親からの愛情が足りません。
それは間違いがありません。

ただ、それを原因にできるのか。


子どもたちは、期待に応えようとするものだと思います。
しかし、そこには、誰かが期待してくれることが必要です。
期待してくれる人のいない子どもたちは、応えようがありませんから。


だから、問題を起こすんじゃないか。

僕は、たくさんの子どもたちに、同じようにたくさんの愛情を注げない、と言います。
だから、親代わりは親になれないとも。

いくら一生懸命に仕事をしても、限界があると言います。

言い訳です。


親であることは仕事ではありません。
親をやってお金をもらう人はいませんから。

だから、子どもたちは、僕らに心を開かないんじゃないか。

子どもたちに「期待してるから」と言うことがあります。
それは、どこまでの本心なのか、自分に聞いてみます。

言葉だけ?

子どもたちは、すべてを理解できる能力があるんじゃないか。
そんなうわべだけの言葉は、すぐに見透かしてしまうんじゃないか。

問題を起こす子どもを、責めてしまう僕がいます。

それでいいのか。

僕が悪いんじゃない、悪いのは子どもたち。
そんな状況を作っている社会。

それは、やっぱり言い訳。
ただの逃避。

もうこれ以上はできない、僕はそう言います。
自分で限界を決めることは本当はできません。
自分で『限界』と言った時に、それは言い訳になります。
本当はもっとできるかもしれないのに、そこに自分で線を引いているわけですから。

問題を起こす子どもは、やっぱり期待してくれる人のいない子どもが多いようです。
親にしても、親戚にしても。
そんな気がしています。


だから、僕らは、子どもたちが期待しているんだと、
本当に思えるような人間でなければなりません。
そうでなければ、子どもたちは僕らの期待に応えようとするはずがありませんから。


僕の思いが足りない、きっと。


だから、自分で自分の限界を決めてはいけません。

言い訳をしないように、子どもたちに対していきたいと思っています。

ただ、それは相当難しいことなんですけど。

  言い訳大臣の・はげおやじ・より

2009年6月 8日 (月)

海の季節

昨日は休み。
天気がとても良かったので、
三浦半島一周チビバイクツーリングに行ってきました。
って言っても、たいした距離じゃないんですがね。

ほんと、暑い!

もう、夏!

だから、海!

半島一周ですから、
できるだけ海岸線を走り、
気持ちいい潮風とともに夏を感じる、てなもんです。

こんな感じです。

Photo

泳いでいる人もたくさんいましたよ。


ところどころでバイクを降りて、
ぶらぶら海岸を歩いたり、魚を取っている子どもに話しかけたり。

「お父さんと、魚釣りに来てるんだよ」

いいねえ、家族と過ごす休日。


ここは剣崎(つるぎざき)。

1


2


4

灯台のちょっと入ったところで、
恋人たちが、木陰に隠れて、キスしてました。
この写真で言うと、この右手の方ね。

「おまえら、いい加減にしろ!」

邪魔するために、
さりげなく、知らんぷりして、近くまで行ってやりました。

さすがに、そそくさと逃げていきましたよ。

「ざまーー見ろ!」

あーー、なんて嫌なおやじなんだろうと、自己嫌悪しながら、
嫌なおやじで悪いか!なんて、ひとり開き直っていたのでありました。


写真ついでに、
前に撮った夕陽の写真を2枚。
いかがでしょう。

Photo_2


2_2

  携帯写真で勝負!!の・はげおやじ・より


  ******
 

そうそう、帰ってきたときに、
施設の子どもたちがみんなでビワを食べていました。
庭にビワの木があって、
手入れしてるわけじゃないから小さい実なんだけど、
今、いっぱいなっています。

「はげせんせい、1個あげるよ」

「おいしい、おいしい、ほんとおいしいんだから」

なんて言いながら、子どもたちがビワをひとつくれました。

「うーーん、ちょっと酸っぱかったけど、
  子どもたちの気持ちが、おいしかった!」

2009年6月 5日 (金)

彼女とドライブ!

今日は、朝から幼児の女の子を連れての通院。
横浜にある子どものための専門医療センター。
小さな病院では見られないということで、定期的に通院している。

二人だけの時間。

施設の子どもたちにとっては、とても貴重な時間である。
いつも、大勢の中で生活しているから、
職員を独り占めしたいという気持ちが強い。

高速を使って、30分くらいでぶっ飛ばした。

待合室。
彼女は、僕の膝の上にずっと乗ったまま。

「はげせんせい、ジュース買って!」

にこにこしながら言う。

「しょうがないなあ、買ってやるか」

100円玉1枚と10円玉1枚を彼女に渡した。
彼女は、自動販売機に自分でお金を入れ、
自分でボタンを押して、好きなジュースを買った。
なんでもないことだが、
施設の子どもたちは、なんでもないことがなかなか経験できない。

彼女が帰ってきて、職員に一番に言ったことは、

「はげせんせいにおかねをもらって、
じぶんできかいにいれて、もものカルピスかったんだよ!」

彼女にとって、それは大事件だったに違いない。

「今日は特別だから、キャラメルも4個あげるよ」

4個というのは4粒。
あんまりあげると、お昼ご飯が食べられなくなっちゃうからね。

でも、そんなことで、彼女は大喜び。

診察はすぐに終わった。
「特に問題ありません。全く順調です」とお医者さんに言われた。
良かった、良かった。
ちょっと能力的に遅れているかなあ、っていうところもあるが、
彼女のおっとりとして優しい性格が大好きだ。


さて、帰ろうかな。


行きは30分で行ったんだけど、
帰りは、彼女とのドライブを選んだ。

「海の方を回って帰ろうね」

彼女と1時間半のドライブを楽しんだ。

  ひとりひとりとの時間を大事にしたい・はげおやじ・より

2009年6月 1日 (月)

親とは

「親と一緒に住みたいなあ」

施設の子どもたちは言います。
当たり前です。

施設を出た卒園生がそう言う時には、僕は言います。

「やめとけ、やめとけ、いいことなんかないぞ!」

それでも、自分で親を探して会うような卒園生もいます。
それから、同居したり。
親と一緒に改めて生活を始める。
憧れの親子水入らず。


ですが、貯めていたお金を取られ、給料も取られ、
結局、また、別居。

「もう、親なんかに会いたくない」

そんなケースをいくつか経験しています。

本当に子どもと一緒に生活を立て直そうとするんだったら、
子どもが施設にいるときに、もっと訪ねてきたはずだし。

子どもも幻想を抱き、
失敗を経験するまでそれが分からない。
僕だって、100パーセントそうなるかは分からないから、
そんなに強くは言えないし。

「間違って、うまくいってほしい」 そう祈るだけ。

だけど、結果は、いつもそんなことになる。


子どもにとって、一番大事な親の役割はなんだろう?

僕はこう思っています。

「親は、生きている限り、子どもを捨てない」

勿論、そうでない親が、施設にはたくさんいるんだけど、
親の本来の役割は、そんなところにあるんじゃないかなあ。

子どもがどんな状況になったとしても、
親は、子どもが帰って来るのを待っている、ってことだけど。


そんな意味じゃ、僕らの仕事は、全く情ない仕事です。
『親代わり』だなんて、とても言えない。
基本的に面倒を見るのは18歳まで。
後は、そんなに関わってあげられない。

僕らは、ある意味、子どもを捨ててるんじゃないか。
困って助けを求めてくれば、力になってあげることもあるけど、
いつまでも、親身なって心配してあげられない。

施設には新しい子どもたちが、次々に入ってくるし、
みんなの親代わりには、とてもじゃないけど、なってあげられないんだって。

ちょっと、言い訳を含めて、そう言わせてください。

・・・そういう意味では、中途半端な仕事です。

  ただ、できることはやろう!と思う・はげおやじ・より


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