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2009年10月の6件の投稿

2009年10月30日 (金)

もし・・・

どうして僕は、今ここにいて、こんなことをしてるんだろう?


この前、本を読んだ。
「もし・・・」という題名の短編小説を含めた短編集なんだけど。


まあ、そんなことを今更考えてもねえ、って感じ。
こうなってしまったものはしょうがない。

積極的に選んだにしろ、成り行きに任せたにしろ、
生まれた状況は別にして、
自分で選べるようになってからの選択は自分でしてきたのだから。


言えばきりがない。

「あ、あの時にあの彼女とずっと付き合っていたら・・・ふるんじゃなかった」とか、

「もし、あの時に子どもができていなかったら・・・そんなことをしたのは自分だろ!」とか、

「もう少し僕の顔が不細工だったら・・・クレオパトラもびっくりするくらい世界が変わっていたかも」とか。
こりゃ、僕の選択じゃないか。


でも、もう一回30年前に戻れるとしても、
結局、同じような選択しか自分はしないんじゃないか、とも思うんだよなあ。


ただ、いろんなことを考えるのは面白い。
妄想とか、あんまりしないんだけど、現実的なことはいろいろと考える。

今後の選択において、どうするべきか。

こうしらた、こうなって、ああなるだろうなあ、とか。
ああしたら、そんなことになって、こうなっちゃうなあ、とか。

だから、こう言った方がいいだろう、とか、
ああした方がいだろう、とか。


まあ、いろいろな経験が、選択を変えていく。

今までの経験が、自分のよしとする方向を決めていく。


過去を振り返って後悔するも良し、
情けない昔を思い起こし、ひとり恥ずかしがるも良し。


ただ、現状は変わらない。
いくら、いろんなことを考えたとしても、だ。


だから、せめてこれからは前向きに、生きていけたらいいと思う。

って、前向きってどっち向き?ってこともでもあるんだけど。


この前、施設の中学生の男の子が、唐突にこんなことを聞いてきた。

「ねえ、はげ先生、ひとつ聞いてもいい?人間は何のために生きてるのかなあ?」

すぐに、冗談半分につまらない返答をしたんだけど、
彼も、そんな悩んでって感じでなく、なんとなく聞いてみた、って感じだったけど、
今度、彼には僕の考えを整理して話をしたいと思っている。

自分なりのこの解答に沿って、ほんとは自分の選択を考えないといけないんだろうけど。


  たいした話ができるとも思わないんだけど、
    だいたい、自分の考えを整理できるのか、
               はなはだ疑問の・はげおやじ・より


ほんと人生って、偶然の連続です。
って、それは必然なのかもなあ・・・運命!

そう考えた方が楽かも。

2009年10月25日 (日)

雨の大運動会

今日は、小学校の運動会。

僕の日頃の行いが悪いんです、すいません。
途中からは雨が・・・
ひどくならずに済んだので、一応プログラムはなんとか終わったんですが、
子どもたちはずぶ濡れ、寒そうで気の毒でした。

まあ、途中で終わるよりは良かったか、ってな感じです。


毎年、この運動会では子どもたちの成長が見られて、
ほんと嬉しく思っています。

施設の中では、いろいろと手こずる子どもたちが、
一生懸命に走ったり、ダンスしたり、組体操をしたりしているのを見てると、
また一年で成長したなあ、と思います。

特別支援学級の子どもも4人いますから、なおさらです。

これはソーラン節の写真。
上手く撮れてなくてすいませんが、雰囲気だけ感じてください。

Photo_3
Photo_2


日頃の生活の中は戦いですから、その成長があんまり感じられないんだよなあ。

「おまえら、もう少しちゃんとできんのか!」とか、だからね。

あんまり勉強の方では活躍できませんが、
せめて運動だけでも、と思うわけで。

って言っても、勉強も運動もできない、っていう子どももいるんですがね、勿論。


「おまえ、ビリだったじゃん!ほんとに何やっても遅いんだから。」と僕。

「違うよ。ほんとは早いんだけど、今日はお腹が痛くて、早く走る気がしなかった」

そんな言い訳をする女の子。

まあ、いいでしょう。
それくらい、僕に言い返せるようになっただけでも、
彼女も施設に、っていうか、僕に慣れてきた証拠。
良しとしておきましょう。


とある女子職員は、
「みんな、こんなにできるなんて、嬉しくて!」
涙を流して、喜んでいました。
日頃の苦労が大きいので、立派に演技する子どもたちに感極まったようです。

でも、泣かなくてもいいじゃん!とも思ったんですが。


まあ、いずれにしても、一年に一度の運動会。

僕自身も、涙は流れませんでしたが、
日頃、ちっとも言うことを聞かない男の子が、
他の皆と同じように上手に組体操をするのを見て感心していました。

「やれば、できるじゃん!」

帰ってきて、僕は彼には言いました。

「おまえさあ、みんなと一緒のことがちゃんとできるの、おかしくない?」

「・・・・・」

そして彼は、僕に殴りかかってきました。
手数の多いパンチ攻撃。

「そんなに、照れるなよ」

「・・・・・」

さらに、彼の殴る力は強まりました、パンチの回転も速くなるし。


ですが、その時の彼のニコニコした笑顔は、
そんな会話を楽しんでいるように見えました。


  そんな表現しかできない子どももいるんだよね、
     5年生だけど今日は特別に彼の歯磨きもしてあげた・はげおやじ・より


2009年10月20日 (火)

子どものお手本・・・だからさあ!!

僕も文句ばっかり言いたくない!

ほんと最近の若いもんは・・・じいさん口調になってきた。


何の話かというと、遅刻の話。

僕はいつも子どもたちに言っています。

「時間を守ることは大事!
社会に出たときに困らないように、
今のうちに時間の守れる人になろうね」

いや、間違ってないですよね。
間違ってない、全く。


この前、若い男性職員が子どもたちに向かって話をしていた。

「ゲームの時間、一分でも過ぎたら、ペナルティーだから」

ゲームの時間は一日1時間と決まっていて、
時間を守らせるためにそう話していたということ。


ですが、この職員、
昨日も、10分くらい遅刻してきた。

この前なんか、
「電話しないで、何分くらい遅刻するか見てみようよ」
ってことになって、ずっと待ってみた。

30分・・・1時間・・・1時間半・・・

ようやく2時間ほど遅刻して彼は出てきた。

「すいません!」・・・・それだけかい?


こんな職員を見て、子どもは言うことを聞くかなあ。
僕が子どもだったら、間違いなくこう言う。

「時間のことで、おまえになんか言われる筋合いはない!」

子どもたちは口に出しては言わないけれど、
きっとそう思っているに違いない。

何度言っても、おんなじだし。
・・・だからさあ、自分でなんか手立てを考えなよ。


もう、10年位前かなあ。
僕が中高生の担当を持っていたときは、
「職員が遅刻したら、中高生全員にカップラーメンを奢る」
そんな約束をしていた。

僕だって、年に1回か2回は遅刻して、ラーメンを買ってあげていた。
子どもに時間のことを言う以上、言った責任が僕にはある。

この職員に、このルールを当てはめたら、
カップラーメン代で、給料は吹っ飛ぶ!


子どもはだめで、職員は良いということなんかありえない。


でも、遅刻をするのは、彼だけじゃないないんだよなあ。
確かに朝の早い仕事、子どもたちを起こすところから始まるからね。
だけど、だから許される、ってものじゃない。

もう少し、職員がしっかりしてくれなくちゃ、
子どもたちが良いように育つわけないんだって!

言いたかないが・・・なんとかならんもんかなあ。

  あーあ、また今日も愚痴になってしまった・はげおやじ・より

2009年10月15日 (木)

死ぬ時くらい自分の思いを・・・遺言

実は、僕は不治の病で・・・

余命幾ばくもなく・・・

気掛かりなことと言えば、
わずかばかりの遺髪を誰にもらってもらおうかと・・・


なんてことがあるはずないんだけど。

ごめんちゃい、冗談です。


僕の父親はもう20数年前に亡くなり、
僕の母親は、その後、生まれ変わったように(僕にはそう見えた)
いきいきと過ごしています。

まだまだ元気です、ありがたいことに。

で、この前、僕の弟からメールが来ました。

長崎で母親の隣りに住んでもらってるんだけど。
あ、うちは6人兄弟で、みんな上から外に出たもんだから、
一番下の弟が残るしかなかった、ってことだけど。

弟君、すんません。


で、メールは何かと言うと、これがまた『母親の遺言』。

そんなもん、普通、メールで教えるか?とも思うけど。


歳も歳だから、いつどうなるか分からないから、
遺言を作っておくことにしたんだそうです。

財産と言っても、家は借地に建てたものだし、
あるものと言えば、わずかばかりの現金(預金)です。

貧乏でよかったよ、
こんなことで、兄弟争いたくないからね。

で、その内容なんだけど、これがまたいい、僕は気に入った。


僕の母親はとても熱心なクリスチャン。
(僕は似非クリスチャン)

イエスに騙されてんじゃないの?

若干、思ったりもするんだけど、
まあ、そこまで信じるものがあるんだったら、
それはそれで幸せだとも思います。


それで、その遺言です。

たいした金額じゃないんだろうけど、
お金の使い道は、

●母親自身の葬儀代
●兄弟6人に50万づつ(含:葬儀に来る交通費)。
●寄付を10数箇所(寄付先と金額も決まっている)
●残ったお金で、毎年命日近くに近所の親戚に集まってもらって、
 母親と父親のためにお祈りをして、ご馳走を食べる。
 お金がなくなるまでその集まりを続ける。


いいですよね。

自分の年金で、質素な生活をして貯めたお金を、
最期に好きなように使う。

今までだって、随分あちこちに寄付していたみたいだけど。
まあ、自分のお金ですから、お好きにどうぞ、って感じです。

個人的には、
「そんなに寄付ばっかりしないで、僕に頂戴!」とも思っていましたけど。


「お袋さんらしくて、とてもいい遺言だと思います」

って返信したら、すぐに、

「となりで、お袋さんが笑っています」って、弟から。


  まあね、この親にしてこの子あり!!
           僕のことです、の・はげおやじ・より


僕も、そろそろ遺言考えとこうかなあ。

って、現状の財産 0。

ほら、卒園生が無心に来るし。

2009年10月10日 (土)

えこひいき

Beehiveさんとこのブログの今回の記事は、
このブログにもコメントをくれるMさんの記事で、
今回の僕の記事のタイトルです。

僕はまねしんぼう、って話です。

内容は全く違いますが、
このタイトルだけ拝借して、記事を書くことにしました。

Mさん、勝手にパクリましたよ。
ご了解を!!


  ********


平等ってなんだろう?

全く同じこと?
違うな。
その人の状況を分析して、その人とあの人の満足度を同じにしないと、
平等、って言わないんじゃないか。

公平、然り。

大体、そんな分析、無理なんだから、
世の中、不公平と、不平等だらけ。
それが、当たり前。

もう少し、神様、何とかして、とも思うけど、
神様は、そんなこと、放っておくんだよな、たいていの場合。

「自分でなんとかしろ!」だってさ。

神様は、意外と冷たい。


今日、スーパー銭湯に行って来た。
サウナは気持ちよかったよーー。
それは関係ない。

そこには、子どもを連れたお父さんも結構いましたよ。
まあ、いいんだけど。
それを見ながら僕が思うことは、

「うちの施設の子どもたちは、
お父さんとお風呂にふたりで入ったことなんか、
ないんだろうなあ」

しょうがない。
どうしようもないもの。
しかも、施設に来ても職員と二人でお風呂に入ることもない。

十把一からげだもの。

職員配置上、そうしかできない。

生活のすべてがそうなんだよなあ。
そんな希薄な人間関係しか持ち得ない施設で、
問題を抱えた子どもたちが、良い方向に転じることなんか、
ほとんど、ありえないんじゃないか。

ああ、また愚痴になっちゃうよ、嫌だ、嫌だ。

うちの施設の子どもたちは『えこひいき』を求め、
僕らは、平等、公平を目指しているんだから、
相いれないんだよなあ。

いつまでたっても平行線で。

子どものサインは見えてるよ。

「僕の方を見て!!」って、悪さをしてみたり。

でもさ、ちょっとは見てあげるけど、
君ばっかりは見てあげられない。

例えば、サインを出したくても出せない子どももいるはずだもの。
その子どもの方が気の毒じゃない?

あーあ、考えれば考えるほど、
どうしたらいいのか分からなくなってくるよ、どんどん。

  みんなに『えこひいき』したい・はげおやじ・より


だから、ありえない!

無理、無理!!

2009年10月 5日 (月)

昔は良かった!のかな?

施設の子どもたちに関わらず、
ゲームをする子どもたちは多いと思います。


子どものコミュニケーションが上手く取れない原因のひとつに、
ゲームがあると思います、これは大きい要因。

携帯ゲームにしろ、テレビゲームにしろ、
子どもたちにとっては、面白いです、最高に。
僕には、ちっとも楽しくないけど。

ただ、今だから興味がありませんが、
僕が小さいときにそんなものがあったら、はまってただろうとも思います。
 (高校生の時、ブロック崩しとインベーダーが流行りましたが、
                  貧乏な僕はほとんどやったことがない!)

でも、今の時代に生まれなくて、ほんと良かったよ。
そう、思います。

僕らの小さい頃は、勿論そんなものはなかったから、
外に遊びにいくわけです。
家にいてもつまらないからね。
だから、近所の子どもたちとの関わりの中で、
良いことも、そうじゃないことも、いろいろと教えてもらった。

年齢も様々ないろいろな子ども同士のコミュニケーションの中で、
学んだものは大きいです。
勿論、喧嘩なんかもしながら、痛い目にも合いましたが、
それが、人間形成に大きく関わったと思います。


うちの施設の中高生なんか、黙ってたら一日中だってゲームやってるって!
後は、漫画とテレビ。
外に出ることもなく、ただひたすらに、ベッドでごろごろしながら。
友だちの家に遊びに行くと言っても、対戦ゲーム、小学生でも。


ゲームに集中する子どもたち。

うまくいかないと、だんだん、いらいらしてくる。
以前、それで、自分の携帯ゲームを投げつけて壊してしまった子どももいます。
コントローラーをテレビに投げつけて、テレビを壊した子どももいます。
液晶のテレビはすぐに使えなくなりますから。

自分で選んで楽しいことをしながら、こんな結果を生むんですから、
「どうなのよ」と思ってしまいます。

先行き不安です。

勿論、みんながみんなそういう生活を送っているということではありませんが、
そういう子どもが多いように見える、ということです。


何でも、ほどほどが良いと思っています。

ゲーム然り、テレビ然り、勉強然り。

って、「もういい加減に勉強やめろ!」と言わせるような子どもには、
僕の長い仕事の中でも、まだ出会っていませんが。

  何事も『中庸の徳』と思う・はげおやじ・より

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